ティマイオス読書メモ221106(宇宙は善いもので一つ?)
てことで、いろいろ平行してプラトンやプラトンについての本を読んでるけど。
ティマイオスがやっぱりいちばん興味あるしってことで、メモをとることにした。
ティマイオスも2つ並行して読んでいたり。
・岩波書店のプラトン全集(はるかむかしに全部コピーしてかつ傍線とかひっぱってある)
・白澤社のティマイオス・クリティアス(このあいだ買った)
もう一つ訳はあるけど、それよりは電子書籍版がほしい…。
プラトン全集(絶版)のをどこかが文庫版+電子書籍にしてくれないかなというところ。
とりあえず前置きはいいからティマイオスメモ。
最初のアトランティスについてもティマイオスのわくわくするコンテンツのひとつではあるんだけど、今回の興味はそっちじゃないのでそっちのメモは割愛。
ティマイオスの宇宙論―製作者が宇宙を生成した
28A
常にある(・・)もの、生成ということをしないものとは何なのか。また、常に生成していて、ある(・・)ということをけっしてしないものとは何なのか、ということです。
すなわち、前者は、常に同一を保つものなので、これは理性(知性)の働きによって、言論の助けを借りて把握されるものであり、他方、後者はまた、生成し、消滅していて、真にあるということのけっしてないものなので、これは思惑によって、言論ぬきの感覚の助けを借りて思いなされるものなのです。
さらにまた、生成するものはすべて、なにか原因となるものがあって、それによって生成するのでなければなりません。なぜなら、どんなものにしても、原因となるものもなしに生成することは不可能だからです。
ところがさて、何を製作するにしても、その製作者が、常に同一を保つもののほうに注目し、その種のものをなにかモデルに用いて、とうの制作物の形や性質を仕上げる場合には、そのように作り上げられるものはすべて、必然的に立派なものとなります。しかし、製作者が生成したものに注目し、そうした生み出されたものをモデルに用いる場合には、製作物は立派なものとはなりません。
「ところがさて、何を製作するにしても、その製作者が~」の「製作者」は、白澤社の方では「デーミウールゴス」(デミウルゴス ※長母音めんどくさいから基本省いておぼえて検索できるようにしてる)になっている。
28B
つまり、宇宙は、生成の出発点というものがまったくなくて、常にあった(・・・)ものなのか、それとも、ある出発点から始まって、生成したものなのか、ということです。生成したのです。なぜなら、それは見られるもの、触れられるもの、身体を持ったもの(物質性を備えたもの)であり、すべてこうしたものは、感覚されるものなのですが、この感覚されるもの、つまり、思惑によって、感覚の助けを借りて捉えられるものが、生成するもの、生み出されるものであることは、すでに明らかにされたことだからです。
29
宇宙の構築者は、モデルのうちのどちらのものに倣って、この宇宙を作り上げたのか。同一を保ち、恒常のあり方をするものに倣ったのか、それとも、生成するものに倣ったのかということです。
さて、もしこの宇宙が立派なものであり、製作者がすぐれた善きものであるなら、この製作者が永遠のものに注目したのは明らかです。
しかし、もしその逆に、口にするのも許されないようなこと(宇宙が劣悪なもので、製作者が悪しきものである)としたら、その場合には、製作者は生成したものに注目したということになります。
すると、製作者が永遠のものに注目したということは、誰がみてもはっきりしているわけです。というのは、宇宙は、およそ生成した事物のうち最も立派なものであり、製作者のほうは、およそ原因となるもののうちの最善のものだからです。
そこで、このようにして生成したのですから、宇宙は、言論と知性(理性)によって把握され同一を保つところのものに倣って、製作されたわけなのです。ところで、以上のような事情があるとすれば、この宇宙が何らかのものの似像であることも、これまた大いに必然的なことです。
ここで、きになったところ。
「すると、製作者が永遠のものに注目したということは、誰がみてもはっきりしているわけです。」
その根拠がこれ↓。
「というのは、宇宙は、およそ生成した事物のうち最も立派なものであり、製作者のほうは、およそ原因となるもののうちの最善のものだからです。」
でも、↑自体の根拠は特に書かれていないのかな。
これを自明のこと扱いしてその根拠はティマイオスには書いてないのかな?
(グノーシス主義とか考えて。グノーシス主義ではデミウルゴスは劣った神扱いだから)
ティマイオスの宇宙論―宇宙は善いもの
p31
29E
それでは、生成する事物すべてとこの宇宙万有との構築者が、いったいどのような原因によって、これを構築したのかということを話しまそう。構築者はすぐれた善きものでした。ところが、およそ善きものには、何事についても、どんな場合にも、物惜しみする嫉妬心は少しも起こらないものです。そこで、このような嫉妬心とは無縁でしたから、構築者には、すべてのものができるだけ、構築者自身によく似たものになることを望んだのでした。
嫉妬心のところは注がついている。
「神々は妬むもの」というのが、古くからギリシアに一般に行き渡っていた神観であることは、「オデュッセイア」(第5巻118-120行)や、アイスキュロス「ペルシアの人々」(82行以下)にも見られる通りであるが、ヘロドトスの場合も、クロイソスやクセルクセスの悲劇は、過mの嫉妬もしくは報復によるものであった(「歴史」第1巻(34の1)他)。プラトンのいまの言葉は、こした神観の意識的に対立して言われたものであろう。
構築者、製作者の性質については、特に根拠もない感じ。
まさにこれこそ、生成界と宇宙との最も決定的な始めだとすることを、賢者たちから受け入れるなら、それが一番正当な受け入れ方でしょう。すなわち、神は、すべてが善きものであることを、そして、できるだけ、劣悪なものは一つもないことを望み、こうして可視的なもののすべてを受け取ったのですが、それはじっとしてはいないで、調子外れに無秩序に動いていましたから、これを、その無秩序な状態から秩序へと導きました。それは、秩序のほうが無秩序よりも、あらゆる点で善いと考えたからです。
29B
ところで、最も善きものには最も立派なこと以外に他のことをするのが許されないのは、かつてもいまも変わりのないことです。
だから神は、推理の結果、次のようなことを発見しました。
――すなわち、本性上可視的であるような事物のうち、どんなものも、それぞれ全体として考えられる場合には、理性なきもののほうが理性あるものよりも、すぐれて立派なものとなることはないだろう。ところがまた、理性は魂を離れては、何ものにも宿ることはできない――ということです。
そこでこの推理の故に、神は、理性を魂のうちに、魂を身体のうちに結びつけて、この万有の造作をまとめ上げましたが、それは、本性上最も立派で最も善き作品を完成したことになるように、ということだったのです。
されて、このようにして、かのありそうな言論に従えば、こう言わなくてはなりません。
この宇宙は、神の先々への配慮によって、真実、魂を備え理性を備えた生き物として生まれたのである、と。
ティマイオスの宇宙論―宇宙は一つ
p34
30Aさて、われわれは宇宙を一つのものとして呼んで来ましたが、それで正しかったのでしょうか。それとも、多なるものとして、また無限個のものとしてさえ語るほうが、正しかったのでしょうか。それは一つのものとして呼んで正しかったのです、いやしくも、それがモデルに即して制作されたことになるのだとすれば。
何故なら、およそ理性の対象となる生きものすべてを包括しているものが、いま一つの(自分と同じような)別のものと併存していて、それら二者のうちの一つだということはありえないでしょうからね。
というのは、もしもそうだとすると、この両者を包括する生きものが、さらにまた別個にあるべきだということになり、前二者は後者の部分にすぎないことになるでしょう。そしてこの宇宙万有は、もはや前二者にではなく、むしろ、それらを包括する側のものに似せられているのだと言われるほうが、よりただしいはずだからです。
宇宙は一つ説。
でもここの説明だとわかりにくい。
次の説明もまできて、やっといいたいことはわかるというかんじになった。
だから、この万有が単一性という点で、かの完全無欠の生きものに似るようにという、このことのために、宇宙の作り主は、2つの宇宙を作ったのでもなく、無限個の宇宙を作ったのでもなかったのでして、この宇宙は、ほかに同種のもののないただ一つだけのものとして生じて、現にあり、なお今後もあることでしょう。
ちなみに、複数宇宙の説が唱えられているらしいことが注にある。
注
ここでは、宇宙を複数あるいは無限多のものとする考えが退けられていて、これはあくまで一つのものだと主張されているが、宇宙を無限多のものとして考えた人としては、原子論者レウキッポス、デモクリトスその他を挙げることができる。彼らによれば、無限の虚空間の中には、太陽も月もない宇宙あ、動植物の存在しない宇宙など、無数の宇宙があるものとされていたらしい。
最近マルチバースとかよくいわれていて個人的に好きなので、古代ギリシャにもそういうのがあったんだーという感じ。
1個というところには特に説得力がないとは思う。
1このほうがすばらしいから1個というかんじだし。
それなら、私が無限のほうがすてきだから宇宙は無限個というのとかわらないような好き嫌いの問題?
まとめ
とりあえずがんばってここまでメモをとった。